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ダイソー 小どんぶり 正面 [磁器]

ダイソー小どんぶり_01
 100均のダイソーで購入した小さめのどんぶりです。価格はもちろん税別100円でした。大きさは抹茶茶碗にピッタリで、抹茶茶碗に見立てて使っています。

 茶の湯の美意識の一つとして「侘び」というのがあります。これは本来「貧相・不足の中に心の充足を見出そうとする意識」の事を言うそうなのですが、今や価格的に豪華になってしまった茶の湯の世界に、この「侘び」の精神が何処まで生きているのか疑問に思う事が良くあります。

 例えば、私の好きな抹茶茶碗は、他の一般的な食器類に比べて遥かに高い価格で売られています。特に、形状や模様に乱れのある手作り品は、びっくりするほど高額です。或いは、茶室なんて物に至っては、あれを自宅敷地内に建てられる人は、物凄いお金持ちに限られます。質素で控え目に見えながら、その実、経済的にはかなり派手で豪華絢爛になっているのが、今の茶の湯界隈だと感じます。茶の湯を「お金持ちの貧乏ごっこ」と揶揄する人がいるのも無理からぬ事だと思います。
 別の言い方をするなら、「侘び」の美しさがあるとして高く評価されればされる程、価格的には「侘び」から遠ざかって行くという自己矛盾が、この美意識には内包されているのだろうと思います。

 昔、道具の類は全て手作りだった頃、形の整った綺麗な器は高価で、非日常的な存在でした。それ故に、「侘び」の精神性に於いては、むしろ形の整わない貧相な日常雑器の中に美を見出し、それらを用いて来たと考える事が出来ると思います。
 一方、現代に於いては、工場で大量生産され、綺麗に形の整った器の方が、形の整わない手作り品よりも廉価で日常的です。高価で非日常的なのは手作り品の方なのです。それならば、「侘び」の精神性に於いては、むしろ形の整った大量生産品の中にこそ今は美を見出すべきでしょう。実際、そういう大量生産品の中にも美と呼べる何かが存在すると感じる事は良くあります。
 (もちろん、形の整わない手作り品の中にも美と呼べる何かは今でも確かに存在します。でもそれは、私にとっては「侘び」でもなければ「寂び」でもない、別の何かです。これについては、何時かこのブログに書き残したいと思っています。)

 ・・・まあ、勉強不足のオッサンの戯言はこの辺にして。(笑) このダイソーのどんぶりです。

 手にした感触から、多分磁器だと思うのですが、素地の色は茶色に見えます。もしかしたら、釉薬の下に茶色の塗装が施してあるのかも知れません。で、その素地にムラムラと白い釉薬がかけられています。このムラの具合がなかなか良くて、私は結構気に入っています。

 釉薬のムラの調子は360°何処から見ても同じで、窯印やサインの類は全くありません。ですから、正面と言っても、実際何処でも良くなってます。方向を気にしなくても良いというのも、それはそれで気楽で良いものです。

 器は薄手で、形は非常に整っています。手にした感触も悪くありません。むしろ手に馴染む形です。高台がちょっと低く、器をひっくり返す時の指の引っ掛かりが甘いのが難点なのですが、まあ、落として割っても高が100円、全く痛くありません。それに、そもそも洗ったり乾かしたりとかの手間が、手作り陶器の茶碗に比べると遥かに楽です。もし毎日抹茶を点てるような生活になったら、こういう器の方が良いような気がします。

 お気楽に使える、良い景色の茶碗です。

つづく








川原陶斎 御砂焼 平茶碗 窯印 [陶器その他]

川原陶斎02_04
 川原陶斎・平茶碗の窯印です。厳密に言えば、川原陶斎窯の印ではないので窯印とは言えませんが、まあ、便宜上・・・。

 印は左に「御砂焼」、右に宮島・厳島神社の神紋となっています。この二つの印は、御砂焼の他の窯元でも使用されています。因みに、厳島神社のこの神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」と呼ばれているそうで、この窯元が神事に使う陶器を厳島神社に収めている事が分かります。また、これでは三つある「二重亀甲に剣花菱」が一つであれば、それはあの出雲大社の神紋になるのだそうです。

 一方、前にご紹介した川原陶斎「松濤」にあった「陶斎」の窯印は、この平茶碗にはありません。ですから、付属の栞が無かったら、この茶碗の製造元は分からない所でした。栞が無いと出所が分からなくなるという事は、この茶碗がその程度の扱いしかされない事を覚悟して製造されたのだろうと想像されます。ぶっちゃけ、この茶碗は手軽な土産物グレードだと。う~む・・・。

 という事で、色々欠点はありますが、それなりに雰囲気がありますし、悪くない茶碗だと思います。

おわり









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