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ダイソー 小どんぶり 高台 [磁器]

ダイソー小どんぶり_03
 100均どんぶりの高台です。

 磁器の素地の色と言えば、普通は白だと思うのですが、このどんぶりの畳付を見ると茶色です。実際に茶色の素材の磁器なのか、或いは塗装か何かなのかは分かりません。少なくとも、釉薬の下が白かったら、釉薬のムラが目立たなくなり、このどんぶりの風情はなくなっていただろうと思います。

 高台は薄く低く、形状も真円で、見た目の面白さはありません。高台内もぺったんこで、やはり見た目の面白さはありません。逆に、ツルッとした畳付は置く場所を選びませんし、直径が大きく形の整った高台は器に安定性をもたらします。この辺は、大量生産の実用品なりという所でしょう。

 総じて、抹茶茶碗として使うには何の不足も無く、むしろ少し楽しめる良い器だと思います。特に、価格的に最も貧相な器に、趣味の茶の湯に合った美しさと実用性を発見するという貴重な体験が出来たので、このどんぶりの存在は私にとって大きなものとなっています。

おわり








ダイソー 小どんぶり 見込み [磁器]

ダイソー小どんぶり_02
 茶碗に見立てている100均どんぶりの見込みです。

 ムラのある釉薬の感じが、薄く積もった雪に似ていて、なかなか趣があります。しかも、ここに抹茶を入れると、釉薬の白と抹茶の緑のコントラストが大変に美しく、いつまでも見ていたくなります。

 どんぶりなので茶溜りの類はありませんが、ちょうどその辺りは釉薬のムラが少なくなっていて、何となく茶溜りのような変化のある景色になっています。まあ、そもそも抹茶用の茶碗でも茶溜りのない物は普通にありますから、このどんぶりでも物足りなさはありません。
 口造りは薄手で口当たりも良く、抹茶を飲む際の抹茶の流れ方もスムーズです。大きさも、抹茶茶碗として良くあるサイズで、茶筅も振りやすいです。

 本当に、抹茶を飲むのに何の不足も感じられない良いどんぶりです。

つづく








ダイソー 小どんぶり 正面 [磁器]

ダイソー小どんぶり_01
 100均のダイソーで購入した小さめのどんぶりです。価格はもちろん税別100円でした。大きさは抹茶茶碗にピッタリで、抹茶茶碗に見立てて使っています。

 茶の湯の美意識の一つとして「侘び」というのがあります。これは本来「貧相・不足の中に心の充足を見出そうとする意識」の事を言うそうなのですが、今や価格的に豪華になってしまった茶の湯の世界に、この「侘び」の精神が何処まで生きているのか疑問に思う事が良くあります。

 例えば、私の好きな抹茶茶碗は、他の一般的な食器類に比べて遥かに高い価格で売られています。特に、形状や模様に乱れのある手作り品は、びっくりするほど高額です。或いは、茶室なんて物に至っては、あれを自宅敷地内に建てられる人は、物凄いお金持ちに限られます。質素で控え目に見えながら、その実、経済的にはかなり派手で豪華絢爛になっているのが、今の茶の湯界隈だと感じます。茶の湯を「お金持ちの貧乏ごっこ」と揶揄する人がいるのも無理からぬ事だと思います。
 別の言い方をするなら、「侘び」の美しさがあるとして高く評価されればされる程、価格的には「侘び」から遠ざかって行くという自己矛盾が、この美意識には内包されているのだろうと思います。

 昔、道具の類は全て手作りだった頃、形の整った綺麗な器は高価で、非日常的な存在でした。それ故に、「侘び」の精神性に於いては、むしろ形の整わない貧相な日常雑器の中に美を見出し、それらを用いて来たと考える事が出来ると思います。
 一方、現代に於いては、工場で大量生産され、綺麗に形の整った器の方が、形の整わない手作り品よりも廉価で日常的です。高価で非日常的なのは手作り品の方なのです。それならば、「侘び」の精神性に於いては、むしろ形の整った大量生産品の中にこそ今は美を見出すべきでしょう。実際、そういう大量生産品の中にも美と呼べる何かが存在すると感じる事は良くあります。
 (もちろん、形の整わない手作り品の中にも美と呼べる何かは今でも確かに存在します。でもそれは、私にとっては「侘び」でもなければ「寂び」でもない、別の何かです。これについては、何時かこのブログに書き残したいと思っています。)

 ・・・まあ、勉強不足のオッサンの戯言はこの辺にして。(笑) このダイソーのどんぶりです。

 手にした感触から、多分磁器だと思うのですが、素地の色は茶色に見えます。もしかしたら、釉薬の下に茶色の塗装が施してあるのかも知れません。で、その素地にムラムラと白い釉薬がかけられています。このムラの具合がなかなか良くて、私は結構気に入っています。

 釉薬のムラの調子は360°何処から見ても同じで、窯印やサインの類は全くありません。ですから、正面と言っても、実際何処でも良くなってます。方向を気にしなくても良いというのも、それはそれで気楽で良いものです。

 器は薄手で、形は非常に整っています。手にした感触も悪くありません。むしろ手に馴染む形です。高台がちょっと低く、器をひっくり返す時の指の引っ掛かりが甘いのが難点なのですが、まあ、落として割っても高が100円、全く痛くありません。それに、そもそも洗ったり乾かしたりとかの手間が、手作り陶器の茶碗に比べると遥かに楽です。もし毎日抹茶を点てるような生活になったら、こういう器の方が良いような気がします。

 お気楽に使える、良い景色の茶碗です。

つづく








中村与平 お福茶碗 高台 [磁器]

お福茶碗_03
 お福茶碗の裏からの景色です。まるで型で抜いたように整った高台や、高台内の綺麗な渦巻き、「与平」の窯印などが見えます。典型的な磁器の景色です。

 磁器らしいこういった整った造形というのは、人による造形美の一つだとは思うのですが、私にとっては整い過ぎてて面白味に欠けます。設計図にはなかった偶然による乱れ、人智や人の作意を超えた自然の力による揺らいだ景色。そういった物を極力排除していく方向性は、それが難しかった昔は高い意義があったかと思いますが、工業化による大量生産が行われ、人による整った造形が身の周りに溢れている現代に於いては、むしろ当たり前になってしまって、鑑賞や愛玩の対象となり難くなっていると思います。
 私にとっての抹茶茶碗は、鑑賞や愛玩の対象です。ですから、私は整った茶碗より、乱れや揺らぎの多い茶碗の方が好きです。この茶碗で実際に抹茶を味わった事がない理由は、こういった所にもあります。

おわり








中村与平 お福茶碗 正面 [磁器]

お福茶碗_02
 お福茶碗の正面です。「福」と書かれています。如何にもおめでたい、縁起物っぽい装飾です。また、見込みの絵柄を引き立てるためか、この正面には「福」以外のものは描かれていません。ほぼ真っ白です。

 非常に整った碗形のフォルムですが、やや直線交じりの硬いシルエットになっています。見込みの和やかな雰囲気と違って、やや緊張感のある正面の景色です。綺麗に揃った轆轤目やほぼ真っ白な色合いも、一層緊張感を高めます。

 良く考えてみると、この茶碗の最大の見所は、緊張感のあるこの正面ではなく、和やかな見込みの絵柄にある訳で、こういう茶碗は他には余りありません。そういう意味で、顔を見込みにあしらったこの手の茶碗は面白い存在です。

つづく